「ごはん・お米とわたし」作文図画コンクール 「一粒一粒の命の重み」

一粒一粒の命の重み

北諫早中学校 三年
古川 健心

 

「おはよう」
と朝起きると我が家の食卓には炊きたての白ご飯がある。

「ただいま」
と家に帰ってくると、白ご飯が炊けたいいにおいがする。

 僕は、白ご飯が大好きだ。白ご飯を食べると元気が出る。やる気が出る。辛い時に、白ご飯を食べるとなんだか吹っ切れる。

 僕の家の白ご飯は、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんなど親戚の大勢で毎年作っている。僕の住んでいる町の水はとてもきれいでおいしい。だから、お米もとてもおいしい。

 僕が小学五年生の頃、田植えに連れていってもらった。初めは、一生懸命、手伝っていたけど、すぐ疲れて遊んでいた。でも、おじいちゃん達は働いている。その姿を見て、もう一度頑張った。

 同じ年の稲刈り。僕はまた田んぼについていった。刈った稲は、稲穂を下にして干していた。僕は疑問に思ってお父さんに聞いてみた。
「栄養がお米の方に行くように下向きにしてるんだよ。」
と教えてくれた。
「なるほどお。昔の人の知恵ってすごいな。」
と僕はとても感心した。

 今の僕はお米でできているといっても過言ではない。田植えでは、最後までやり遂げる「忍耐力」。稲刈りでは、実際に体験してわかった「知恵」。そして、毎日、毎日食べているお米でできた「丈夫な体」。お米があったからこそ今の僕がいる。
 そしてお米は、僕達家族の絆を強くしてくれる。田植えや稲刈りなど、お米を作っていく中でコミュニケーションを取ったり、ご飯を食べながら、食卓を囲みお話をし、コミュニケーションを取ったり、家族の絆はお米でできている。
 白ご飯を毎日食べれることは、あたりまえじゃない。作ってくれる人がいる。作るための知恵がある。お米にも一粒一粒に命がある。
 白ご飯を食べれる幸せさ。白ご飯を食べれるありがたさ。今、世界のどこかでは、白ご飯を食べれない子ども達もいる。毎日食べれる僕達は、あたりまえじゃない日々に幸せを感じ感謝しなくてはいけない。
 白ご飯を食べれない日常を想像してみよう。僕は泣きたいくらいに悲しい。お米は、僕の生きがいだから。
 白ご飯を食べると、自然と笑みがこぼれる。白ご飯は、平和の象徴。白ご飯を食べれるのは平和の証。いつまでもいつまでも食べ続けたい。そして、白ご飯を食べれる人がたくさん増えてほしい。
 白ご飯が入ったお茶碗。その温もりを感じ安心している僕。でも、そのお茶碗には、たくさんの命が入っている。お米一粒一粒に感謝し、今日も食べる。
「いただきます。」
白ご飯を食べて、生きていると改めて感じている。一粒一粒に命の重みを感じている。お茶碗にお米が一粒たりとも残らないように、ていねいに食べる。今日を生きれることへの感謝。お米を食べれることへの感謝。すべてに感謝し、最後の一粒を噛みしめる。お茶碗が空っぽになった時、今日も一日がんばるかと気合いが入る。今、新しい一日が始まった。
「ごちそうさまでした。」