第49回「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクール作品集
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・・・「おばあちゃん。おにぎり作って小さい頃私はご飯を食べる時は決まって祖母にそうお願いするのであった。白ごはんよりもおにぎりが大好きで、いつもお願いしていた。そんな私のわがままを、いつもニコニコしながら聞き入れ、「いくつ食べるかな?塩を多めにいれておいしく作るね。」といってたくさん作ってくれた。私も嬉しくて二人の妹と何個も食べていた。私が成長できた源でもある。祖母が作ったおにぎりは我が家の伝統のおにぎりであった。名前はない。私が住んでいるのは、米作りが盛んな長崎の壱岐の島である。私が成長できた源であるお米が、この壱岐島産のお米である。そんな壱岐島産のお米を我が家でも、祖母、両親を中心に作っている。私たち姉妹も手伝い壱岐島産のお米づくりをしている。しかし、そんな壱岐の島も米作りにおいて危機的な状況にあるということを、米作りをしている私の祖父が「壱岐の島は、人口も減少しており、米作りを引き継ぐ若い後継者が少ない。米作りをしている人のほとんどが高齢者で、このままでは、壱岐島産のお米はなくなってしまうのではないか。」というのである。私は、この壱岐島産のお米がなく。」なることは考えられないし、受け継いで守っていかなければならないと考える。では、後世に引き継ぎ守っていくためには一体私たちに何ができるのか真剣に考えた。若い人は壱岐にはいるもののなかなか、米作りをする人は増えない。しかし、お米を食べる人は島にはたくさんいる。田んぼもたくさんあるが最近では使わなくなった田んぼも見られる。私は、自分ができることを中心に二つの提案をする。一つ目は後継者を増やすということである。壱岐の島は、若い人も減少しており、その中で後継者を探すのは難しい一面もある。なので、島以外の人でも壱岐の米作りを受け継いでくれる人を探す事が大切だ。二つ目は、壱岐島産の米の魅力を発信していくことである。様々な魅力を発信して、たくさんの人に壱岐島産のお米を食べたい、壱岐島産のお米を作ってみたいと思えるようにすることである。二つのことは必ず実践する。私におにぎりを作ってくれた祖母は、日に日に体が弱くなり、今度は私がおにぎりを食べさせていた。祖母に食べさせると決まって、「おいしいね。なつかしい味がするね。」と言った。私にとって嬉しい言葉であった。8長崎県知事賞祖母の幸せおにぎり壱岐市立勝本中学校3年野元理彩

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