第49回「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクール作品集
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生まれた。十ヶ月たった今、妹は上の歯が二本、けで言うことがある。おかゆは、米が少なくて下の歯が二本生えて、少しやわらかくたいたお米とやわらかく煮た野菜や肉、魚などのごはんをおいしそうに食べている。の離乳食が始まった。一番最初は、おかゆをこした汁で、これはおもゆと言うらしい。私もスプーン一杯味見をした。何の味もしない。正直言って水道水よりまずかった。妹は、母乳やミルクを飲む時と少し違う変な顔をして飲み込んではもっと欲しいと口を開けた。対して水十でたいたおかゆで始めはそれをつぶして食べていた。まるで、工作で使うのりを薄めたようなものだった。妹は、おもゆの時より、ることを決めている。満足そうな顔をした。私はこの十倍がゆのどこがおいしいのだろうと思った。かゆになった。五倍がゆといって、これは米一に対して水五の割合で炊いたごはんで、お米の粒も分かるし、味もしっかりしていた。去年の十月、私がずっと待ち望んでいた妹が生まれて、五ヶ月ほどたった三月下旬から妹それから、十倍がゆになった。これは、米一にそして、舌ですぐつぶれるようなかたさのお祖母がおかゆのことを「おかゆさん」とさんづも、お湯を足すことで、空腹が満たされる貴重な食料だったかららしい。妹の離乳食を作る母を見て、私や弟が赤ちゃんの時もこうして作ってくれていたのだと初めて分かった。そして、お米は私たちが赤ちゃんの時からずっとお腹を満たしてくれる大切な食料だと改めて思った。以前、私は棚田のオーナーになってお米作りの体験をしたことがある。田植えの前から稲刈りまでいろいろな作業や工程があって、たくさんの時間と手間がかかることが分かった。それから、お米作りの大変さや、ありがたさを知って、絶対ごはん粒は一粒も残さないように食べ残念なことに、五島の祖父母は高れい者になって、お米作りをやめる事になった。ずっと、私の家のお米は五島から送ってもらっていたのに、それがストップした。おじいちゃん、おばあちゃん今までおいしいお米を作ってくれてありがとう。おつかれ様でした。14長崎県農業協同組合中央会会長賞Ⅱ部お米さんありがとう大村市立竹松小学校6年川上朱莉

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