「ごはん・お米とわたし」作文図画コンクール 「笑う門にはごはんがある」

笑う門にはごはんがある

壱岐市立郷ノ浦中学校 2年
長岡 美桜

 「みんな晩ご飯できたよ!」
 いつもこのかけ声が聞こえると家族がそれぞれの部屋から一つのテーブルに集まり、笑顔がこぼれます。私はこの時間が一日の中で一番好きです。そして私はのちにこの家族みんなで食卓を囲むことの大切さに気づかされることになるのです。
 私の家族は六人家族で父は自営業、母は保健師をしています。二〇一九年十一月末頃に新型コロナウイルス感染症が発見され、私はそのニュースをテレビで見ていました。そのときは「どうせたいしたことないだろうし、私たちに影響はない」と思っていたのですが、気づけば日本でも流行し、とうとう私の住んでいる市でも感染者が出ました。それから母は朝早くから家を出て夜遅くまで仕事をし、深夜に帰ってくる日々が続きました。父は母が忙しい分、仕事をした上に家事をすることが増え、私たち姉妹の塾や習い事の送迎までしてくれました。私や妹は何日も母に会えず不満や悲しみが溜まり、私たち家族は元気をなくしていきました。そんなときにいつも私たちの心に光を灯してくれた存在が「ごはん」でした。家族みんなが揃わない日もあったけれど、誰かと一緒に食卓を囲むだけで嫌なことも忘れられ、温かいごはんに元気をもらえたと感じます。世の中にはいろいろな「個食」といわれるものがありますが、やはり一人でごはんを食べるより「同じ釜の飯を食う」という言葉のように誰かと一緒に食事をすることやコミュニケーションをとれることの幸せを大切にしていきたいと感じました。
 世界全体で新型コロナウイルスの流行により不安を抱え、後ろ向きになっている人、その不安から差別やいじめを起こして不安を和らげようとしている人などが増えてきました。そんなご時世だからこそ今、皆さんに伝えたいことがあります。それは誰かと一緒にごはんを食べることがどれだけ幸せで大切かということです。豪華であるとか質素であるなども関係ありません。誰かとおいしくごはんを食べられることが幸せなのです。
 最近は子どもから大人まで忙しい家庭も少なくはないと思います。しかし家族が一つのテーブルに集まり食卓を囲む意味を多くの人に今一度考えてみてもらいたいと考えます。そして、たくさんの人々にごはんのすばらしさを知ってもらえたら世界中が笑顔でいっぱいになれると思います。
 「笑う門にはごはんがある」、今日も我が家はほかほかごはんと幸せいっぱい笑顔大盛りです。