「米作りからごはんを愛する」
長崎県立長崎東中学校 二年
松田 つくし
家から獣道を少し歩くと、そこには美しい田園風景が広がっている。トラックで道路を行くとくもの巣に引っかからなくて済むのだが、いつもその道を走って田へ向かう。
先祖代々引き継がれてきた松田家の田。田植えの時期になると、姉妹といとこの六人で仕事をしに行く。半そで半ズボンで帽子をかぶって田に行き、長靴に履き替えて田植えを始める。黒いかごに入った稲の苗をてのひらの分だけもぎ取って、水を張ったゆるい土の中へ足を運ぶ。うちの田は一般的な田と比べるとかなり水分を含んでいるので注意が必要だ。田に入ると、指を、鉛筆を持つときのようなかたちにして、端のほうから十五センチメートルの間隔で苗を植えていく。みんなで協力して一段終わるとまた一段、正午の鐘が鳴るまで田植えをしていく。そのころにはみんなお腹がぺっこぺこだ。
田はかなりの高低差がある斜面にあり、石垣が積まれて棚田になっている。一番下の田の隣に大きい川が流れていて、私たちはいつもその川の隣で、まだ田植えが途中の棚田を見ながら昼食を食べる。中身はもちろんおにぎりだ。朝から米を十合炊き、みんなでまん丸いおにぎりを三十個作る。我が家では、おにぎりの具は鮭や昆布、梅干しが人気だ。それをホカホカの白米で握り、ラップで包んで持っていく。
疲れていても、おいしいごはんを食べるとなんだか元気が湧いてくる。視覚では棚田の風景を、聴覚では川のせせらぎを、味覚と嗅覚と触覚ではおにぎりをほおばってひと粒ひと粒の味を堪能することができる。このおいしさを手に入れるために、祖父母や父は田植えを続けているのだと感じた。
米作りはとても大変だ。苗を植えても、農薬散布や害獣の侵入を防ぐ対策をしなければならない。昨年はイノシシが出没し、甚大な被害を受けた。台風の影響を考慮する必要もある。トラクターは費用がかさみ、危険なこともある。だから、私はなぜそこまで米作りにこだわるのか疑問を持ったことがある。店で買ったほうが安くて、きつい農作業をする必要もないと考えたからだ。だが、その疑問は米作りをしなかった年に解消された。店の米よりもうちの米のほうがおいしかったのだ。炊きたての食欲をそそるあの匂い、口に含むとほのかなあまみがいっぱいに広がり、何杯でも食べられる。もちろん売ってある米もおいしいが、それ以上においしく感じられるのは、みんなで作った思い出ごとごはんを食べることができるからだと思う。
昼食を済ませると、残りの作業に取りかかる。父はトラクターに乗って作業をし、他の人は午前の続きをする。冷たい麦茶を飲んで、せっせと田植えをするのはとても楽しい。そして、まだその日の仕事が終わらないうちに、日が暮れるまでメダカやタニシを捕ったり、川に入ったりして遊ぶのも楽しい。
稲刈りの時期にもおにぎりを持って田に走る。小屋から田を見下ろすと、巨大な黄金のじゅうたんが風でなびいているように見える。それを、マムシに気を付けながら鎌でひとつずつ刈り取る。刈り取った稲は束にして、端に並べて置いておく。これを組んだ木にかぶせて干す。稲刈りの作業中には、カヤネズミを捕まえたり、赤とんぼを指に止まらせたりしてたくさん遊ぶことができる。干した稲を倉に運んで脱穀すると、ようやく白米ができあがる。
近年、米の生産量が減少していると聞く。そのため、スマート農業はこれからもっと進んでいくと思う。しかし私は、爪に土が入り込み、額の汗をぬぐうと泥がつくような農業も守りたい。ごはんを米作りから愛して、松田家の田を守っていきたい。