「ごはん・お米とわたし」作文図画コンクール 「僕のパートナー」

僕のパートナー

長崎県立長崎東中学校 一年
河野 惠耀

 「今日のご飯は、僕が炊くね。」母親と普段から買い物に行く、近所の大型スーパー。僕は、長崎県産コシヒカリの、ずっしりと重い十キロの米袋を両手で抱えた。
 スーパーのコーナーの一角に積まれているお米には、たくさんの品種と銘柄がある。コシヒカリをはじめ、ゆめぴりか、ななつぼし、ひとめぼれ、みずほの輝き・・・などだ。これらは全国的にも有名なお米で、さまざまな条件に合わせ、品種改良が行われてきたという。そういった多彩な種類のお米を見ていると、改めて日本は、米の文化の国だなと思う。
 夏休みに、偶然にも、その歴史の一端に触れることができた。佐世保市にある、日本最古の土器が見つかった遺跡を展示した「福井洞窟ミュージアム」に家族と出かけた時のことだ。およそ一万年前、人が土器を作ったことで、採取した物の貯蔵が可能になった結果、それまでの「遊動」から「定住」へと生活様式が大きく変わった。この定住により、狩りだけでなくその土地に根ざした稲作が芽生え、人々の集団ができ、それが村になり、国へと発展していったことを学んだ。土器と米の関係は、ものすごく奥深いものだと思い、驚いた。そして、それはお茶碗とご飯として、食を通じて家族や仲間同士の結びつきを強めるものとして、今も、僕たちの食卓に生き続けていると感じた。
 ところで、近所の大型スーパーに行った時に母と一緒に必ず選ぶのは「長崎の米」だ。「つや姫」「なつほのか」「にこまる」「ひのひかり」今回はこれにしよう、と決めて、順番に食べている。地元で作られたお米だからこそ、丁寧にといでおいしく食べたい。ご飯がおいしければ、家族の時間がより楽しくなるからだ。
 僕は小学六年生の時に初めて、お米を炊く経験をして以来、週一回程度はご飯を炊くようになった。計量カップで量ったお米を炊飯釜に入れ、水を注いで「ふっくらした、おいしいご飯になりますように」と、願いを込めながら、しっかりと米をとぐ。とぎ汁が透明になってきたら、慎重に水の加減をし、炊飯器にセットする。ご飯が炊けたら、熱々の米粒を少し味見する。この瞬間がたまらない。一生けん命炊いたお米は格別においしく感じるし、何度も何度も米を触っていると、銘柄によって感触が違うな、と思うこともある。
 家族で旅行したときに買ってくる県外の棚田米も、好きだ。いろんな土地の棚田米を食べるが、どれも特有の味わいがして、面白い。とはいえ、外食した時、店内に「長崎県産米使用」と掲げてあると、なぜか、気分が落ち着く。お米は、様々な所で僕の生活の中に深く入り込んでいるようだ。
 さらにもう一つ。僕とお米の関係が強まったことがある。中学生になって運動の部活動を始めたが、真剣に練習に取り組んでいると、とてもきついのだ。小学生の時よりも食べる量が増えたので、どうしてもおなかが空く。そんな時、母が作って持たせてくれるおにぎりを三つ食べると、本当に元気になる。家庭科の授業で米の栄養素は、エネルギーの源となる五大栄養素の炭水化物だと習った。食べると元気になるお米は、僕が活動する上で必要なパートナーだと思った。
 このようにお米は、僕の生活の中で欠かせない存在になっている。また、食卓においしいお米があることで、僕たち家族のご飯が楽しくなったり全ての人の命が健やかになったりする。そんなお米が、どうやって作られているのか、どのようにして世の中に流通しているのか、大切なパートナーについて、より深く学びたいと思う。