「ごはん・お米とわたし」作文図画コンクール 「私とお米」

私とお米

郷ノ浦中学校 三年
長岡 実李

 

 私は、平成二十九年三月に、一人で東京から壱岐という島に引っ越してきました。祖父母の後を継いで、農業をするためです。

 私は、生まれた時から、壱岐から送られてくる米を食べて育ちました。その米は、祖父母が愛情を込めて作ってくれたお米です。でも、壱岐に来て、初めてお米を育てる事のつらさや喜びを知りました。

 昨年、初めて米作りに挑戦しました。苗づくりを三人でするのは大変でしたが、達成感がありました。田植えは知り合いの機械を使ったので、時間をかけずに植えることができました。手伝えることは少なかったのですが、普段はしない力仕事を通して、力の入れ方や重い物を運ぶときのコツなどを学ぶことができました。

 稲刈りは、その分、たくさん手伝うことができました。我が家では、かけ干しをしています。木を三本組んでひもで縛り、その上に物干し竿のように竹をのせて、稲をかけます。

 木を組んでいると、
「違う。ここは二重にするとたい。」と、祖父の声が飛びます。何回もやって、やっとできるようになりました。コンバインをかけている時は、祖父のじゃまにならないように三本の木をまとめておきます。でも、少しでも、置くところを間違えると、
「違うそこじゃない。」と、注意をされます。

 でも、全ての作業が終わって、
「お疲れさま。」
と、祖父に言われる、ご褒美のご飯を食べると、疲れが全て吹き飛びます。

 去年の八月、早期の新米を食べました。自分で作ったお米を初めて食べた時は、とても感動しました。

 自分が作ったお米がこんなにもおいしいとは思いませんでした。
「かけ干しのお米はおいしかろう」
祖母が笑顔でそう聞きました。これまで食べた米の中で一番のおいしさでした。

 今は日本人の主食と言ったら白米というイメージが強いですが、お米が主食になったのは第二次世界大戦以降だそうです。意外にも歴史は短いようです。日本人の主食がお米というイメージが強いのは、日本中で食べられているからだと思います。ヒノヒカリ、にこまるなど、各地域の品種名には、地域の人々の願いが込められていますし、各地で五穀豊穣を願ったお祭りが開かれています。

 私も今年、郷ノ浦祇園山笠という五穀豊穣を祈る祭りに参加しました。生徒たちが、山車を担ぎ、地域を練り歩きます。農業と神様とは切っても切れない関係にあるようです。

 私が東京にいるときは、当たり前のように食べていたお米でしたが、生産者側になってみると、お米作りはとても大変でした。今以上に苦労していた昔の人が神様に祈る気持ちがよくわかりました。

 私が東京に帰省していた時の晩ご飯の時のことです。もちろん、食卓に上っているお米は、祖父母と私が作ったものでした。家族で食事をしていると弟がお米を残していました。すると父が、
「お米は、お姉ちゃんが作ってくれているのだから、一粒残さず食べなさい。」
と言ってくれました。きっと父も、お米作りの苦労を知っているのだろうと思います。その言葉がとても嬉しくて、大変だけど、これからもおいしいお米を作ろうという気持ちになれました。

 今年も、もうじき、新米ができます。東京に送るのが楽しみです。