入選「あつまれ、あつまれ」

「あつまれ、あつまれ」

諫早市立小野中学校 3年

 原 瑞季

私の家では小さい頃から、食事のマナーについて、そこまで厳しく言われてきたわけではないが、それでも、ご飯を残すことだけはしつこく言われてきた。

お茶碗にお米が一粒でも付いていると、隣に座っている祖母から「あつまれ、あつまれをしなさい。」と言われ、全て食べてしまうまでは、ごちそうさまをすることができなかった。また、精米をする前のお米をこぼしたときは、一粒残らず全て拾わなければいけなかった。なぜ、お米を残してはいけないのか聞くと、祖母は決まって、世界にはごはんを食べられない人もいるのに、ご飯を毎食食べられる私たちがお米を粗末にしてはいけないとか、たった一粒のお米にたくさんの時間と手間がかかっているといつも私に言うのだった。

このように、私は小さい頃からしつこく言われてきたので、お米は一粒も残したことがなかった。

私はごはんを食べる際、一緒に食べる人がいただきますを言っているか、よく観察をしていて、父がいただきますを言っていなかったりすると、指摘はしないものの、心の中で、食べ物や作ってくれる人への感謝を忘れたのかなあ、特に何も思わないのかなあと思ったりしている。

また、私の学校では、給食後に十粒ほどついたお茶碗をよく見かける。ましてや、ごはんを半分しか食べず、多くのごはんを残してしまう人もいる。そういう人をみると、「どういう気持ちで残しているんだろう」、「もったいないと思わないのだろうか?」と思う。ごはんを残す人に理由を聞くと、量が多いとか、“あつまれ、あつまれ”をするのが面倒くさいとのことだった。量が多いのであれば、最初から調節すれば残さずにすむはずだ。そんなことを考えていないということは、やはり、ごはんを残すことに抵抗がないのだろう。

お米は、お茶碗一杯で約四千粒といわれている。私のクラスは四十人で、例えば、全員が十粒ずつ残すと、たった十日でお茶碗一杯分になり、一か月で二杯を残すこととなる。たったの十粒が、だ。

私は、米農家の方が、時間をかけて一生懸命作ったお米が“あつまれ、あつまれ”するのが面倒だという理由で、最後まで食べないのは良くないと思う。

このように、世の中の一部の人には、感謝を持って食べることを忘れてしまっている人がいる。

確かに、食べ物を食べるごとに感謝を持つのは大変である。しかし、食事をする前、食事をした後は食べ物に感謝をしてほしい。そして、たった一瞬だけでもそれを作ってくれた人のことを考えてほしい。

私は、いつか子供が出来たら、その子供に、お米は一粒も残さずに食べるように教えようと思う。

そう、私の祖母のように「あつまれ、あつまれをしなさい。」と。