長崎県知事賞「まかしとき!」

まかしとき!

壱岐市立郷ノ浦中学校 一年

下村 翔渉

 ぼくの家は昔からお米を作っている。お米作りをしていた祖父が亡くなった。祖母も仕事をしており、曾祖父も認知が進み、お米を作る人は、81歳になる曾祖母しかいなくなった。

その曾祖母も今年病気が見つかり、入院することになった。ちょうど籾まきが始まった時期だった。福岡に入院した曾祖母が手術することになり、ぼくは電話で

「今年のお米は、まかしとき!」

と、曾祖母に告げた。

曾祖母は泣きながら、

「ありがとうね。ごめんね。」

と言って喜んでくれた。少しでも元気になればと思い、言った言葉だった。

しかし、電話を切った後に母から、

「そんな約束して大丈夫?お米作りって大変なんよ。」

と言われ、あまりピンとこなかった。だが、このたった一言の言葉が、大変な事態を招くことになる。

母にとっても祖母にとっても初めてのお米作りだった。だから、地域の人たちの手を借りて、田んぼを荒すきしてもらった。ぼくは、それを見守るしかなかった。荒すきは計三回くらい行われた。

(田んぼって、水を入れて稲を植えるだけ)ぐらいに思っていた僕は、初めて手間がかかることを知った。

それから水を溜める。だんだんと田植えの準備が進んでいく。それまでに家族が田んぼの周りの草刈りをしていたので、草を運んだり、家族にお茶を持っていったりとぼくなりに仕事を探し、手伝った。

田植えの時は、育苗箱を洗う作業を頼まれた。何十箱ある育苗箱を洗って乾かした。ぼくは、苗を機械で運ぶ手伝いもした。機械で植えられなかった苗を手植えすることもした。

小学校の時、田植えをしたことがあったので、少しは自信があったが、広い田んぼを見た時、まるで先の見えない砂漠のように感じた。足にゴツゴツした物が当たったり、足が抜けなかったりとぼくの行く手をはばんだ。

ふと昔の人は、この広い田んぼを手植えしていたのかと思ったとき、昔の人は凄いなと思った。たったこれだけの手伝いなのに大変さが身にしみて、ぼくが曾祖母に

「今年のお米は、まかしとき!」とえらそうなことを言ったことに大きな後悔をした。

しかし、一通り田植えが終わると、とてつもない達成感があった。何でもできそうな気持ちと自信でいっぱいだった。母は、

「大げさやね。」

と、笑ったが本当に心からそう感じた。それから祖母が水の管理や仕事の休みの度に田んぼの草刈りをしていたので、ぼくも草運びや片付けを手伝った。

今年のお米作りは、今もまだ続いている。

「まかしとき!」という簡単な一言から始まったぼくの米作り。今年の暑さは尋常ではなかった。普段、農作業をしたことがないぼくにとって、全ての作業が苦しいことの連続で、米作りの大変さを痛感した。

しかし、それ以上に達成感を味わうこともできた。何もなかった田んぼに水が張られ、苗が植えられた風景を目にしたこと、いくつも重ねて持った育苗箱の重さを感じたこと、照りつける太陽の下で運ぶ草のにおいを嗅いだこと、すべて僕にとっては格別な体験だった。大切な人を笑顔にしたいと思うだけで、目に見えない力が、体の内からみなぎってくるのを感じた。

いつか曾祖母が元気になり、家に帰って来た時は、一番にぼくや家族がお世話したお米を食べてもらいたい。そして、胸を張って言おう。

「来年のお米作りもまかしとき!」