「私の大好きなお米」
佐世保市立祇園小学校 6年
吉浦 心愛
「あっ、お米がなくなっちゃう。」
と、お母さんがさけんでいます。こういうときはおじいちゃんの出番です。私の家のお米は、おじいちゃんが家の前の田んぼで作っています。作り始めたのは私が生まれたときでした。自分が作ったお米を私に食べさせたくて作り始めたそうです。毎年、私のたん生日が終わるころには、黄金にかがやく稲であたり一面がうめつくされます。おじいちゃんのヒノヒカリは、十月中じゅんにかられて精米され、届きます。
私は小さいころから、おじいちゃんが作ったお米を食べ続けています。つまり、私の体のほとんどは、おじいちゃんのお米からできているといっても過言ではありません。私が大きく育つことができたのは、全部おじいちゃんのおかげです。
私には、ある忘れられない思い出があります。それは、田植えをしたときのことです。おじいちゃんと一緒に、苗を植えているとき、やさしく気持ちをこめながら、植えているおじいちゃんを見て感動しました。私のためにここまで一生けん命に育ててくれていることが分かってとてもうれしく思いました。この思い出は今でもまだ、昨日のことのように思い出すことができます。このときのおじいちゃんが頭からはなれることはないでしょう。
おじいちゃんは一度、仕事中に木から落ちてけがをしたことがあります。そのとき、
「今年は作るのをやめておいたら。」
と声をかけると、
「今年も食べさせてあげたいから作る。」
の一点張りで最後までしっかり作ってくれて、うれしかったです。
私のおじいちゃんは、雨の日も風の日もどんなに暑くても、私のこととなるとなんでもしてくれるようなすごく優しくて素敵な人です。仕事が、どんなに忙しくても、手をぬかずに育て、病気やけがをしても、常にお米と私のことを考えて大切に想ってくれていることが伝わります。私は、そんなおじいちゃんが大好きです。
お米を食べていると、おじいちゃんと忙しくてなかなか会えない日が続いていても、となりで食事をしているような、楽しい気持ちになります。私が食べるお米の、一つぶ一つぶが、おじいちゃんからの愛情がつまったメッセージだと思っています。そしてそのメッセージには、汗を流して育てているおじいちゃんが、
「大きく育ってね。」
と言っているような気がします。だから、食事のときは、おじいちゃんの顔がいつも浮かびます。私の家族はみんなおじいちゃんのお米が大好きです。世界中のどのお米よりも絶対に一番おいしいと思っています。もし、おじいちゃんがお米を作れなくなったら私が作ったお米でおじいちゃんを喜ばせたいです。